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千代田区の歴史
麹町区・神田区の統合
終戦後、戦災による区の実情の変化は大きく、都心や江東方面の各地は、まさに文字通りの焼け野原となりました。このため、人口が極度に減少した区も多く、麹町、神田両区も面積の三分の二が焼け、かつて20万人以上であつた人口が、わずか3万人に減っていました。
区の実体がこのような状態であった―方、行政、財政における権限が拡大され、それに対応した基盤をつくるため、区の規模を大きくする必要が生じ、区の整理統合を行おうとする機運が生じてきました。
この整理統合については、昭和21年7月、第―次地方自治制度改革を機に東京都区域整理委員会が設置され、将来の復興都市計画による変化を念頭におきながら検討されていました。当初は、従来の35区から12区にする案と25区にする案とがあり、12区案では麹町・神田・日本橋・京橋・芝の5区が統合されることになっていました。委員会は21年12月まで審議をかさねた結果、25区案を修正した22区案を答申しました。
このような統合案について、議決をもとめられた各区会は種々検討をしましたが、麹町・神田両区会は昭和21年12月27日に他区に先がけて、両区の統合を議決しました。そして、昭和22年3月15日の新区発足に際しては、次のような申し合わせを行い、新しい出発に備えました。
区名は「千代田区」に
区名については、各区が新区発足ぎりぎりまでもめ続け、そのほとんどが昭和22年2月以降に決めているのに対し、本区は、統合を議決した昭和21年12月に「千代田区」とすることを同時に議決していました。
この「千代田区」という名は、両区の統合が話題にのぼった当初から、これといった異論もなく認められていました。それは、「干代田」という名前が江戸城の別名「千代田城」にちなんだものであり、本区が、この城を中心に発展してきたことから、新しい区名としてごく自然であり、文字もやさしく、言葉のひびきも美しいという理由からだろうと考えられます。
このようにして、70年の歴史をもつた麹町区と神田区は昭和22年3月14日を限りに、翌15日から千代田区として、新しくも輝かしい第―歩を踏み出すことになりました。
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